教会暦と行事予定

教会の1年(教会歴)

イースター・ペンテコステ・クリスマスはキリスト教の3大祝日です。

11月〜12月アドヴェント(待降節) 1)アドヴェント(待降節)
クリスマス前の4つの主日を含む期間を待降節と呼び、クリスマスへの備えをします。待降節は降臨節とも呼ばれます。アドヴェントはラテン語の「アドヴェニオー」(来臨する、前進する、接近する)に由来し、キリストの来臨に対する約束と期待をあらわしています。また、アドヴェントのもう一つの大切な意味はキリストの「再臨(パルーシア)」に備える信仰的な姿勢です。
12月25日降誕日(クリスマス) 2)降誕日(クリスマス)
クリスマスとは、『キリスト』と『マス』『ミサ』(礼拝)という語が一緒になってできた言葉です。
直訳すれば、『キリスト礼拝』ということ。
『マス』はヘブル語の『ささげもの、贈り物』という意味から来たという節もあり、イエスの誕生を神からの贈り物として受け、礼拝をささげるという意味になります。
よく「Xマス」と書かれますが、これはエクスでなく、ギリシア語のキリストの頭文字がX(キー)だからです。
最初のクリスマスのできごとは、新約聖書のマタイによる福音書と、ルカによる福音書に美しい神話的な物語として書き残されています。
マタイによる福音書には、占星術の学者たちのことが記されています。占星術の学者たちは、キリストの誕生を知らせる星を見つけ、キリストをたずねて旅をしました。ユダヤの首都エルサレムにおいてヘロデ王にきいたところ、それがベツレヘムであると預言書に書いてあることを知り、星の導くままにベツレヘムの馬小屋につき、生まれたばかりのイエスさまに会い、黄金、乳香、没薬の贈り物をささげて帰ったとあります。
羊飼いの物語はルカによる福音書に記されています。羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていると、上空に天の使いが現われ、キリストの誕生を告げ、『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように』と歌いました。羊飼いたちは驚き、かつ喜び、馬小屋に誕生したイエスを拝みに行きました。
イエスの誕生の知らせは、学識のある学者たちのところだけでなく、貧しく、身分の低い羊飼いのところにも告げられました。
イエス・キリストは世の光としてこの世に来てくださいました。そして、暗闇に打ち勝つ力となられました。
なぜなら、救い主(メシヤ)の約束が成就したからです。
クリスマスという行事は初代教会にはなく、4世紀頃から行われるようになりました。エジプト、ペルシャ、ヨーロッパの太陽崇拝の祭が変じてクリスマスの起源となったと言われています。イエス・キリストは世の光としてこの世に来てくださいました。光は暗闇に打ち勝ったのです。
クリスマスの意味は喜びです。なぜなら、救い主(メシア)の約束が実現したからです。光の到来を喜び、心から礼拝を献げましょう。
1月1日命名祭
1月6日公現日(エピファニー) 3)公現日(エピファニー)
クリスマスは1月6日(公現日)まで続きます。大晦日も元旦も、松の内も降誕節の輝きの中にあります。
1月6日(公現日)は、主の降誕を知った東方の占星術の学者たちがやっとベツレヘムに到着し、み子を礼拝した日、すなわち、主イエスがユダヤだけではなく世界の人々にも公に現されて世界の救い主であることを示された日です。クリスマスツリーなどは、公現日まで飾ります。
3月〜4月受難週 4)受難週

日曜日棕櫚の主日(パームサンデー) エルサレム入城
人々は上着と木の枝を敷いて、イエスを迎えた。「ダビデの子にホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
月曜日宮きよめ
イエスは神殿に入られると商人や両替人たちを追い出された。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」
火曜日論争の火曜日 宮での最後の日
イエスは神殿でさまざまな教えをされて、その後、オリーブ山で再臨のたとえ話をされた。
水曜日ベタニアの水曜日
一方、祭司長、長老たちは、イエスを殺す相談をした。イスカリオテのユダは、銀貨30枚でイエスを売った。
木曜日洗足木曜日・最後の晩餐
イエスは、弟子の足を洗われた。そして、イエスは弟子たちと最後の食事の時を過ごされ、悲しみをこめて教えられた。その後、ゲツセマネの園に出て行き、祈りの時を過ごされた。やがて、捕えられ、裁判の場に引き出された。
金曜日受難日
裁判と十字架刑
ユダヤ人指導者たちに扇動された群衆の主張により、ピラトの裁判で死刑判決を受けた。ゴルゴタの丘で、二人の強盗とともに十字架につけられ、人々の嘲弄のなか、午後3時に息を引きとった。アリマタヤのヨセフが遺体を引き取り、新しい墓に納めた。
土曜日暗黒の土曜日
陰府にくだる


復活日(イースター) 5)イースターとは、イエス・キリストの復活を記念する教会の祝日を言います。すなわち、主イエスが受難日より3日目に死に打ち勝ってよみがえったことにより、神の愛の勝利が告知され永遠の生命への希望に与るという驚くべき救いの出来事を記念し、喜び祝う祭のことです。
教会は、主の復活からはじまりました。この教会暦最古の祝日・復活記念日は、「主の日」として日曜日毎に守られるようになりました。したがって一年中のすべての日曜日が「小イースター」の意義を持つことになります。そして、イースターの日はユダヤ教の「過越の祭(パスカ Pascha)」との関連で守られるようになったので、その後のキリスト教的な暦の構造からは少し異なった典拠(大陰暦)によって、その日が決定されています。すなわち、毎年の復活祭の月日は、今日の太陽暦では一定ではなく、教会の一年の暦を構成しているさまざまな祝祭日の中で、もっとも重要なこの日が「移動祝日」になっています(ちなみに、クリスマスは12月25日に祝われる「固定祝日」)。ニカイア会議において、イースターは春分の日の後の最初の満月(ユダヤの民間暦でニーサンの月の15日)の次に来る日曜日と決まりました。
 ◇イースターの語源
イースターは、2つの流れの語源をもっています。
イースター(Easter)という呼び名は、英語圏でいわれており、ドイツ語圏ではオステルン(Ostern)と呼びます。いずれもゲルマン民族の春の女神「エオストル」の祭にちなんだ呼び名。
フランス語の「パック」(Paques)=ギリシア語(パスカ)は、ユダヤの「過越の祭」を指す“ペサハ”がギリシア・ラテン語化したもの。

語源的には、②の方が本来的です。イースターを祝う期間は教会暦に従うと主の昇天までの40日間続きます。そして、その10日後にペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えます。
 ◇イースターの意義
初代のキリスト者たちにとって、キリストの復活という使信は単に死の克服、罪からの開放というよりも、新しい時代がここから始まったという、歴史の未来に向かって、新しい展望と希望とを告げる告知として受け取られたことは重要です。すなわち、ユダヤ教の安息日(週の第7日)を越えた第8日(週の第1日)が始まったという意識です。
この復活のおとずれによって、初期の教会は、後ろを振り返って十字架のキリストを記念するというよりは、今も生きておられるキリスト、世界の闇の中へと歩み出していく宣教の教会、それを復活のキリストのみ業と信じ、立ち上がり、行動を開始したと考えられます。別の言い方をすれば、キリストの復活の出来事をただ十字架の死の三日目に起こった奇跡というよりも、そこから始まって、終末にまで展開していく、大きな新しい世界の解釈、また人生の方向づけという解釈で理解することが必要になります。その意味では、キリストの復活は、ただちにキリストの「昇天」という聖書の記事にわれわれを導き、さらにやがて再びキリストは来られるという「終末の再臨」への希望、そしてその時までこの地上で、世界の歴史の中で、教会はどのようなあり方、生き方、使命を果たすことになるのか、という方向性を自覚することになります。
このような初代のキリスト者たちの理解の中でこそ、聖霊が与えられるというペンテコステ(聖霊降臨祭)の出来事が重要な意味を持つものとして、この直後に位置づけられたのは当然のことでした。なお、復活祭と聖霊降臨祭は、ほぼ同時に成立しました。


聖霊降臨日(ペンテコステ) 6)キリスト教会における伝統的な3大祝祭は、クリスマス(降誕祭)、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)です。ペンテコステという言葉そのものは「50番目」を意味するギリシア語で、特に宗教的な意味合いを持つ言葉ではありません。
ユダヤ教では、春の祭りである「過越しの祭り」(ペサハ)から数えて7週間目、50日目に祝われる「7週の祭り/五旬祭」(シャブオット)をペンテコステと呼びました。この祭りはもともと初夏の収穫感謝祭だったのですが、モーセがシナイ山で律法を授かった日ともされており、ユダヤ教三大祭の一つとして大切に守られていました。
使徒言行録2章によれば、このペンテコステの日に主イエスの弟子たちの上に聖霊が降り、初代教会の新たな活動が始まったと伝えられています。キリスト教の場合、主イエス・キリストの復活を祝うイースターから数えて50日目にあたるということで、この日を同じくペンテコステ(五旬祭)と呼ぶようになりました。言い換えると、ペンテコステはイースターの期節(復活節)の最終日に当たります。ペンテコステの日にちはイースターが移動祝日ですので、それと連動してペンテコステも5月〜6月の約一ヶ月の間で毎年移動します。
教会の一年間のサイクル(教会暦)では、アドヴェント(待降節)からペンテコステまでの期間を「主の半年」と呼び、ペンテコステからアドヴェントまでを「教会の半年」と呼びます。「主の半年」は主イエスの誕生から生涯、十字架の死と復活、さらに昇天までを覚えることを主題とする時であり、「教会の半年」は、弟子たちの働きや初代教会の歩みを振り返ることを主題として過ごす時にあたります。典礼色は緑または赤。
「教会の半年」は、聖霊降臨節または三位一体節(典礼色は赤または緑)と呼ばれます。この期節に、聖霊に導かれて歩み続けて来た初代教会以来の歴史と伝統を振り返りながら、現在私たちに与えられている宣教や牧会にかかわる様々な課題を覚えることは、大変意義深いことです。
5月第2日曜日母の日 7)母の日
母の日は、キリスト教的な生活の中から生まれた「教会行事暦」の一日です。
アメリカのウェストヴァージニア州のある町の教会で始まったと言われています。
小さな教会で40年近く教会学校の先生をしていたクレア・ジャーヴィスさんが1905年5月9日になくなりました。その娘のアンナ・ジャーヴィスさんが、敬愛し、愛していたお母さんの記念にと、毎年その日に近い日曜日の礼拝にカーネーションをささげました。その時、教会学校で母ジャービス夫人が、モーセの十戒の中にある第5番目の戒め「あなたの父と母を敬いなさい」ということを語ったことが思い出としてよみがえったと言います。この教会行事が、やがて多くの人の心を打ち、1914年、アメリカの議会で5月第2日曜日を「母の日」と制定されアメリカの祝日となりました。
6月第2日曜日花の日 こどもの日 8)1856年アメリカのマサチューセッツ州のレオナルド牧師が児童たちと一緒にキリストの道を歩もうという礼拝をささげたのが起源とされています。一年中で一番花の豊富なこの季節に、神の恵みのあらわわれとして、美しい花を通して、神さまを讃美し、神さまに感謝をしようと、教会に花を飾ったことから、「花の日」と言われるようになりました。
1881年、メソジスト教会では6月第2日曜日を毎年「子どもの日」と定め、以来6月第2日曜日は「子どもの日・花の日」と呼ばれるキリスト教の特別の行事です。
10月31日宗教改革日
11月感謝祭(謝恩日) 9)感謝祭(謝恩日)
1620年11月に、イギリスの清教徒(ピューリタン)と呼ばれた人々が、信仰の自由を求めて、メイフラワー号という船に乗り新天地アメリカに渡りました。一年間は、収穫もなく、いろいろな困難にあい、多くの犠牲者をだしましたが、翌年、先住民の友情を得て、土地に適した種をもらい蒔いたところ、豊かな収穫を与えられました。このことを喜んで、神さまの深い恵みに感謝の礼拝を捧げ、先住民の友情に感謝したことが始まりです。
アメリカでは、毎年、11月第4木曜日に「サンクスギビング」として収穫感謝祭を行うようになりました。
  

教会の行事予定

どの集会へも、どなたでも、どうぞお越しください!

脚注

脚注
上に戻る▲1 アドヴェント(待降節)
クリスマス前の4つの主日を含む期間を待降節と呼び、クリスマスへの備えをします。待降節は降臨節とも呼ばれます。アドヴェントはラテン語の「アドヴェニオー」(来臨する、前進する、接近する)に由来し、キリストの来臨に対する約束と期待をあらわしています。また、アドヴェントのもう一つの大切な意味はキリストの「再臨(パルーシア)」に備える信仰的な姿勢です。
上に戻る▲2 降誕日(クリスマス)
クリスマスとは、『キリスト』と『マス』『ミサ』(礼拝)という語が一緒になってできた言葉です。
直訳すれば、『キリスト礼拝』ということ。
『マス』はヘブル語の『ささげもの、贈り物』という意味から来たという節もあり、イエスの誕生を神からの贈り物として受け、礼拝をささげるという意味になります。
よく「Xマス」と書かれますが、これはエクスでなく、ギリシア語のキリストの頭文字がX(キー)だからです。
最初のクリスマスのできごとは、新約聖書のマタイによる福音書と、ルカによる福音書に美しい神話的な物語として書き残されています。
マタイによる福音書には、占星術の学者たちのことが記されています。占星術の学者たちは、キリストの誕生を知らせる星を見つけ、キリストをたずねて旅をしました。ユダヤの首都エルサレムにおいてヘロデ王にきいたところ、それがベツレヘムであると預言書に書いてあることを知り、星の導くままにベツレヘムの馬小屋につき、生まれたばかりのイエスさまに会い、黄金、乳香、没薬の贈り物をささげて帰ったとあります。
羊飼いの物語はルカによる福音書に記されています。羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていると、上空に天の使いが現われ、キリストの誕生を告げ、『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように』と歌いました。羊飼いたちは驚き、かつ喜び、馬小屋に誕生したイエスを拝みに行きました。
イエスの誕生の知らせは、学識のある学者たちのところだけでなく、貧しく、身分の低い羊飼いのところにも告げられました。
イエス・キリストは世の光としてこの世に来てくださいました。そして、暗闇に打ち勝つ力となられました。
なぜなら、救い主(メシヤ)の約束が成就したからです。
クリスマスという行事は初代教会にはなく、4世紀頃から行われるようになりました。エジプト、ペルシャ、ヨーロッパの太陽崇拝の祭が変じてクリスマスの起源となったと言われています。イエス・キリストは世の光としてこの世に来てくださいました。光は暗闇に打ち勝ったのです。
クリスマスの意味は喜びです。なぜなら、救い主(メシア)の約束が実現したからです。光の到来を喜び、心から礼拝を献げましょう。
上に戻る▲3 公現日(エピファニー)
クリスマスは1月6日(公現日)まで続きます。大晦日も元旦も、松の内も降誕節の輝きの中にあります。
1月6日(公現日)は、主の降誕を知った東方の占星術の学者たちがやっとベツレヘムに到着し、み子を礼拝した日、すなわち、主イエスがユダヤだけではなく世界の人々にも公に現されて世界の救い主であることを示された日です。クリスマスツリーなどは、公現日まで飾ります。
上に戻る▲4 受難週

日曜日棕櫚の主日(パームサンデー) エルサレム入城
人々は上着と木の枝を敷いて、イエスを迎えた。「ダビデの子にホサナ。主の名によってこられる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
月曜日宮きよめ
イエスは神殿に入られると商人や両替人たちを追い出された。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」
火曜日論争の火曜日 宮での最後の日
イエスは神殿でさまざまな教えをされて、その後、オリーブ山で再臨のたとえ話をされた。
水曜日ベタニアの水曜日
一方、祭司長、長老たちは、イエスを殺す相談をした。イスカリオテのユダは、銀貨30枚でイエスを売った。
木曜日洗足木曜日・最後の晩餐
イエスは、弟子の足を洗われた。そして、イエスは弟子たちと最後の食事の時を過ごされ、悲しみをこめて教えられた。その後、ゲツセマネの園に出て行き、祈りの時を過ごされた。やがて、捕えられ、裁判の場に引き出された。
金曜日受難日
裁判と十字架刑
ユダヤ人指導者たちに扇動された群衆の主張により、ピラトの裁判で死刑判決を受けた。ゴルゴタの丘で、二人の強盗とともに十字架につけられ、人々の嘲弄のなか、午後3時に息を引きとった。アリマタヤのヨセフが遺体を引き取り、新しい墓に納めた。
土曜日暗黒の土曜日
陰府にくだる

上に戻る▲5 イースターとは、イエス・キリストの復活を記念する教会の祝日を言います。すなわち、主イエスが受難日より3日目に死に打ち勝ってよみがえったことにより、神の愛の勝利が告知され永遠の生命への希望に与るという驚くべき救いの出来事を記念し、喜び祝う祭のことです。
教会は、主の復活からはじまりました。この教会暦最古の祝日・復活記念日は、「主の日」として日曜日毎に守られるようになりました。したがって一年中のすべての日曜日が「小イースター」の意義を持つことになります。そして、イースターの日はユダヤ教の「過越の祭(パスカ Pascha)」との関連で守られるようになったので、その後のキリスト教的な暦の構造からは少し異なった典拠(大陰暦)によって、その日が決定されています。すなわち、毎年の復活祭の月日は、今日の太陽暦では一定ではなく、教会の一年の暦を構成しているさまざまな祝祭日の中で、もっとも重要なこの日が「移動祝日」になっています(ちなみに、クリスマスは12月25日に祝われる「固定祝日」)。ニカイア会議において、イースターは春分の日の後の最初の満月(ユダヤの民間暦でニーサンの月の15日)の次に来る日曜日と決まりました。
 ◇イースターの語源
イースターは、2つの流れの語源をもっています。
イースター(Easter)という呼び名は、英語圏でいわれており、ドイツ語圏ではオステルン(Ostern)と呼びます。いずれもゲルマン民族の春の女神「エオストル」の祭にちなんだ呼び名。
フランス語の「パック」(Paques)=ギリシア語(パスカ)は、ユダヤの「過越の祭」を指す“ペサハ”がギリシア・ラテン語化したもの。

語源的には、②の方が本来的です。イースターを祝う期間は教会暦に従うと主の昇天までの40日間続きます。そして、その10日後にペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えます。
 ◇イースターの意義
初代のキリスト者たちにとって、キリストの復活という使信は単に死の克服、罪からの開放というよりも、新しい時代がここから始まったという、歴史の未来に向かって、新しい展望と希望とを告げる告知として受け取られたことは重要です。すなわち、ユダヤ教の安息日(週の第7日)を越えた第8日(週の第1日)が始まったという意識です。
この復活のおとずれによって、初期の教会は、後ろを振り返って十字架のキリストを記念するというよりは、今も生きておられるキリスト、世界の闇の中へと歩み出していく宣教の教会、それを復活のキリストのみ業と信じ、立ち上がり、行動を開始したと考えられます。別の言い方をすれば、キリストの復活の出来事をただ十字架の死の三日目に起こった奇跡というよりも、そこから始まって、終末にまで展開していく、大きな新しい世界の解釈、また人生の方向づけという解釈で理解することが必要になります。その意味では、キリストの復活は、ただちにキリストの「昇天」という聖書の記事にわれわれを導き、さらにやがて再びキリストは来られるという「終末の再臨」への希望、そしてその時までこの地上で、世界の歴史の中で、教会はどのようなあり方、生き方、使命を果たすことになるのか、という方向性を自覚することになります。
このような初代のキリスト者たちの理解の中でこそ、聖霊が与えられるというペンテコステ(聖霊降臨祭)の出来事が重要な意味を持つものとして、この直後に位置づけられたのは当然のことでした。なお、復活祭と聖霊降臨祭は、ほぼ同時に成立しました。
上に戻る▲6 キリスト教会における伝統的な3大祝祭は、クリスマス(降誕祭)、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)です。ペンテコステという言葉そのものは「50番目」を意味するギリシア語で、特に宗教的な意味合いを持つ言葉ではありません。
ユダヤ教では、春の祭りである「過越しの祭り」(ペサハ)から数えて7週間目、50日目に祝われる「7週の祭り/五旬祭」(シャブオット)をペンテコステと呼びました。この祭りはもともと初夏の収穫感謝祭だったのですが、モーセがシナイ山で律法を授かった日ともされており、ユダヤ教三大祭の一つとして大切に守られていました。
使徒言行録2章によれば、このペンテコステの日に主イエスの弟子たちの上に聖霊が降り、初代教会の新たな活動が始まったと伝えられています。キリスト教の場合、主イエス・キリストの復活を祝うイースターから数えて50日目にあたるということで、この日を同じくペンテコステ(五旬祭)と呼ぶようになりました。言い換えると、ペンテコステはイースターの期節(復活節)の最終日に当たります。ペンテコステの日にちはイースターが移動祝日ですので、それと連動してペンテコステも5月〜6月の約一ヶ月の間で毎年移動します。
教会の一年間のサイクル(教会暦)では、アドヴェント(待降節)からペンテコステまでの期間を「主の半年」と呼び、ペンテコステからアドヴェントまでを「教会の半年」と呼びます。「主の半年」は主イエスの誕生から生涯、十字架の死と復活、さらに昇天までを覚えることを主題とする時であり、「教会の半年」は、弟子たちの働きや初代教会の歩みを振り返ることを主題として過ごす時にあたります。典礼色は緑または赤。
「教会の半年」は、聖霊降臨節または三位一体節(典礼色は赤または緑)と呼ばれます。この期節に、聖霊に導かれて歩み続けて来た初代教会以来の歴史と伝統を振り返りながら、現在私たちに与えられている宣教や牧会にかかわる様々な課題を覚えることは、大変意義深いことです。
上に戻る▲7 母の日
母の日は、キリスト教的な生活の中から生まれた「教会行事暦」の一日です。
アメリカのウェストヴァージニア州のある町の教会で始まったと言われています。
小さな教会で40年近く教会学校の先生をしていたクレア・ジャーヴィスさんが1905年5月9日になくなりました。その娘のアンナ・ジャーヴィスさんが、敬愛し、愛していたお母さんの記念にと、毎年その日に近い日曜日の礼拝にカーネーションをささげました。その時、教会学校で母ジャービス夫人が、モーセの十戒の中にある第5番目の戒め「あなたの父と母を敬いなさい」ということを語ったことが思い出としてよみがえったと言います。この教会行事が、やがて多くの人の心を打ち、1914年、アメリカの議会で5月第2日曜日を「母の日」と制定されアメリカの祝日となりました。
上に戻る▲8 1856年アメリカのマサチューセッツ州のレオナルド牧師が児童たちと一緒にキリストの道を歩もうという礼拝をささげたのが起源とされています。一年中で一番花の豊富なこの季節に、神の恵みのあらわわれとして、美しい花を通して、神さまを讃美し、神さまに感謝をしようと、教会に花を飾ったことから、「花の日」と言われるようになりました。
1881年、メソジスト教会では6月第2日曜日を毎年「子どもの日」と定め、以来6月第2日曜日は「子どもの日・花の日」と呼ばれるキリスト教の特別の行事です。
上に戻る▲9 感謝祭(謝恩日)
1620年11月に、イギリスの清教徒(ピューリタン)と呼ばれた人々が、信仰の自由を求めて、メイフラワー号という船に乗り新天地アメリカに渡りました。一年間は、収穫もなく、いろいろな困難にあい、多くの犠牲者をだしましたが、翌年、先住民の友情を得て、土地に適した種をもらい蒔いたところ、豊かな収穫を与えられました。このことを喜んで、神さまの深い恵みに感謝の礼拝を捧げ、先住民の友情に感謝したことが始まりです。
アメリカでは、毎年、11月第4木曜日に「サンクスギビング」として収穫感謝祭を行うようになりました。